95回半年前パーリー💓ビビの小さい頃。
これは、最初の様子。
みんな静かに話を聞いています💓
司会をしてくれたのは『まさん』という
ピースボートスタッフなんだけど
それでも、静かにみんなが話を
聞くもんだから眠たくなっちゃった子も
何人かいたけど、面白かったから
それはそれでオッケー(´∀`*)💓笑
かーるが受付してくれていたんだけど
そんな中、『ポスター貼りを全力でやろう!』
プロジェクト!!!
宇都宮キャラバンというのがあったんだけど
そこで知り合ったたった数日を一緒に
過ごした仲間に誕生日を覚えてもらってて
かーるが誕プレをもらっているところをみると
本当に微笑ましかった❤️❤️
旅に行きたい!!って同じこと思ってる人が
熱くなればたった2日、ポスター貼りで
一緒になっただけでこんなに熱い仲間に
なれるんだなぁってキャラバンを
羨ましく思った(*´Д`*)💓💓
ビビは今、本当に幸せ。
ひとり、夜思い返すだけで泣けてくる。
小さい頃からアレルギーが多いんだ。
その上、身体が弱くてもうまいっちゃう。
そりゃ、小さい頃なんて元々弱い身体なのに
さらに変な病気にかかったりとかしちゃって。
食べ物アレルギーがひどかった時、
点滴で栄養摂ってなきゃいけない生活を
強いられてたからみんなと同じものが
食べられないだけで変な目で見られたりして
全然友達が出来なかった小さい頃。
やっとアレルギーの身体に自分が慣れてきて
生活も落ち着いてきて友達も増えてきて
馴染めるようになってきたある日
高熱がしばらく続いて倒れた。
身体が弱いから熱がよく出ていて
特にいつものこと。って扱いで
家族も見守ってたけどいよいよヤバくなった。
病名とか忘れたけど
簡単にいうと、上手く血が作られなくて
身体に血が足りてなさすぎて
『お前。もう死ぬけど。』って状態。
即行、入院生活スタート!
正直、学校も友達も捨てた。
なんとか退院したのは小学4年くらい。
まぢ、勉強とかわかんないし。
なんなら、引っ越して新しい学校に
行き始めて新しい生活を始めた。
中学と高校1年までは安定した毎日で
今でも中学の頃のみんなは
今でも集まる仲間だ❤️
高校2年でアレルギー再来。
アレルギーが一気に増えた。
最低限の栄養を摂取する為の点滴の成分にすら
アレルギー反応が出て何度も死にかけた。
何を食べていいのかわからない。
下手に口にしたら死ぬかもしれない。
手の施しようがない毎日。
さすがに死がよぎる毎日には家族が泣く姿に
ビビも泣くしかできなかった。
長くなったから次に書こう。